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拳撃女王・春麗

 とある私設の闘技場。カクテルライトに照らされたリング上に男が横たわり
痙攣を繰り返していた。その顔は無残に傷つき、腫れあがり、痣と流れる血に
より潰れた柘榴を想像させる。鍛えぬかれた身体の至る所には拳大の窪みや痣
が刻まれ、与えられた打撃の破壊力を示していた。
 男の呼吸に合わせて胸が隆起すると同時にだらし無く開かれた口から口笛の
ような音が流れ出る。格闘家としては致命的な再起不能の負傷とも言えた。仮
にその身体が完治したとしても男は精神的に立ち直る事は不可能だろう。それ
ほど、対戦相手は恐ろしく強大だった。

 そして、その相手は男を尻目に拳を軽く突き上げ、この程度は当然と言わん
ばかりの余裕の表情で勝利のアピールをしている。驚くべき事にそれは女だっ
た。切れ長の瞳、その目尻には紅色のアイシャドウが引かれており、薄い唇に
も紅が塗られている。髪の毛は二つのシニヨンにまとめられ白いカバーで覆わ
れていた。顕になった耳朶には相手の打撃など当たらないと言う自信の表れか
白いピアスが付けられている。10人見れば10人が気の強い女性と答える顔
立ちではあるが、その誰もが美貌を認めざるを得ない存在である。

 しかし、その肉体は見る物を驚愕させた。濃いブルーのタンクトップを押し
上げる豊かな双丘は彼女が間違いなく女性だと示す美しく見事に隆起している。
だが、その腕は成人男性の太もも以上はあるかと言う太さで岩をノミで刻み込
んだ様な荒々しい筋肉が浮き上がっている。
 否、それだけではない。僧帽筋、三角筋も大きく発達し後背筋は荒波のよう
にうねっている。腹直筋は綺麗に6つに割れ、外腹斜筋も連なる山脈を思わせ
た。タンクトップと同色のトランクスから除く大腿部もはち切れんばかりに鍛
えられている。
 それは、かつて格闘家の間で蹴撃女王の名で知られていた春麗の姿だった。
以前は速射砲の様に蹴りを出していた足はボクシングシューズに収められてお
り、拳はやはりタンクトップやトランクスと同じ色のボクシンググローブで覆
われていた。

 華麗かつ重厚な足技で名を馳せていた春麗が何故、ボクシングで闘っている
のか、以前の彼女を知る者なら誰もが疑問に思うことだった。それは、一寸し
た気紛れ、或いは戯れと言っても良かった。蹴技を極め余人を寄せ付けない強
さを誇った春麗はシャドルーとの戦いで四天王の一人、バイソンと相見えた時
にあえて彼と同じスタイルで闘うことを選んだのである。いわば、得意技を封
じたハンディキャップマッチ。
 見様見真似の春麗のボクシングはバイソンには不幸な事に完成されていた。
今、リングの上に横たわる男ほどではないがバイソンも血みどろになり春麗の
拳の前にあっさりと屈した。しかし、春麗にはまだまだ完成とは言えなかった。
以来、春麗は文字通り拳だけで次々と男達を打ちのめし、更なる高みを目指し
て行った。その技は直ぐにでも春麗の満足するものとなったが彼女は物足りな
さを感じ始める。

 答えをもたらしたのはかつて、春麗の足技の前に完敗した男だった。厳しい
修行を重ね春麗に再挑戦してきた男は、彼女が戯れに身につけたボクシングに
またも完敗する。男は春麗がボクシングを身につけた経緯を聞き「修行などし
ていない!」と憤った。しかし、技に関しては春麗自身が満足するだけではな
く誰もが非の打ち所なしと言う。
 そこで春麗が思い至ったのは肉体改造だった。蹴りに関してはそれまでの肉
体でも十二分に技とのバランスが取れていたと春麗は感じている。だが、パン
チに関してはどうか、技に対して力が追い付いていないのではないか、と思い
至る。以来、春麗は肉体改造に励みながらストリートファイト、金持ちが道楽
に開催している格闘大会、果てはマフィアが取り仕切る賭け試合に身を投じて
いった。春麗は肉体が強化される度に増すパンチの破壊力に自身が求めていた
ものが正にその通りだったと確信する。そして、貪欲に自分の持つ技量を発揮
するに相応しい肉体を求めさらなる肉体改造を施していった。
 今、春麗は足元に横たわる男を見下ろしながら、その領域に近づいたと確信
している。残す仕上げのみ。その仕上げは、ある男で無ければならないと春麗
は考えていた。それと同時に春麗はその男に感謝の意を込めて全身全霊を込め
た拳を叩きこむつもりでいた。

 数日後、春麗はリングの上で対戦相手を待ち、軽くシャドーボクシングをし
ていた。強靭な筋肉が躍動し両の拳が閃光のごとく閃く。この闘技場では強者
が挑戦者を待ち受けるというシステムだった。対戦相手も花道に現れるまでは
誰か判らない。春麗はこの数日、毎日リングへと上がっている。総合格闘家、
柔道家、ボクサー、レスラー、様々で屈強な男達がチュンリーの拳の前にリン
グへと無残に沈んでいった。ノーダメージの完全試合を春麗は準備運動のよう
にこなしている。春麗はそんな毎日を繰り返しながらそろそろ自分から、あの
男を探しに行くべきかと考えていた。
 やがて、リングに伸びる花道に対戦相手の現れる。まずはその対戦相手の足
元をスポットライトが照らすと裾がボロボロに成った道着の下履きが見えた。
もしや、と思い春麗はシャドーを止め花道を注視する。対戦相手が一歩踏み出
した。そしてリングへと近づく度にスポットライトが徐々へ男の体に添い、上
方へと移動していく。腰に閉められた黒帯が見えると同時に手の甲を覆う赤い
防具が見え始めた。続いて袖のちぎれた道着が見え、男の顔が浮かび上がる。

 格闘家と言うよりは武術家、武闘家と言った表現が似合う眼差しの男、疎ら
に伸びた無精髭と額に撒いた赤い鉢巻。それは、紛れも無く春麗が仕上げの相
手として求めていた男、隆だった。春麗の鍛えぬかれた肉体に力が漲り、自分
の求めていたボクシングが完成する瞬間が訪れたことに高揚した。
 隆がリングに上がり春麗を見据える。
「そろそろ、貴方を探しに行こうと思ってたけど、手間が省けたわね」
 春麗は隆の視線を平然と受け止める。
「噂を聞きつけてきた。凄まじい強さの女ボクサーが居ると。春麗、まさかお
前だったとはな」
 隆が春麗の分厚い筋肉に視線を走らせる。隆も鍛えぬかれていたが、春麗の
前では華奢に見えるほど、春麗の肉体は鍛え上げられていた。
「私に足りなかったのはパンチテクニックを活かす筋力。貴方に修行と言われ
て気づいたわ。お礼は……そうね、ファイトの結果でどうかしら?」
 自信満々に春麗が宣言する。
「お前が得た結論はそれか……だが、俺も負ける訳にはいかない。お前を倒さ
なければ、俺は真の格闘家にはなれないようだからな」
 隆は静かに宣言すると構えをとった。
「良いわ、かかってきなさい」
 右手を腰に当て左手の拳を顔ほどまで掲げると肘を数度、手招きするように
曲げる。さほど、力を入れてるようには見えないが上腕二頭筋が大きく盛り上
がり春麗の肉体改造が如何に過酷であったかを語ると同時にその筋力が生み出
すパワーは隆では遠く及ばない事実を訴える。
 接近戦は不利だ。隆はそう判断するとじわじわと間合いを広げていった。そ
の間に春麗は左手と左足を前にオーソドックススタイルのファイティングポー
ズを取る。

 隆は春麗から十分に距離を取ると氣を練り上げ波動拳を打つ。春麗は波動拳
が自身に到達する直前にノーモーションのストレートを繰り出す。その拳圧は
隆の波動拳を掻き消した。隆は更に緩急をつけ波動拳を繰り出し続ける。春麗
はその度に拳を振るい拳圧で波動拳をかき消し続けた。ジャブ、ストレート、
フック、アッパー、速度の違う波動拳を全くタイミングの違うパンチで次々と
打ち消していく。
「そっちが近づく気がない様なら、私の方から行かせてもらおうかしら?」
 隆の波動拳の合間に春麗が一気に間合いを詰める。かつて強力な蹴り技を繰
り出していた太腿は更に強靭な筋肉に覆われ、途方も無い瞬発力を生み出す。
以前からスピードを信条としていた春麗だが、重量級の筋肉を有した今でもそ
のスピードは衰えてなかった。いや、春麗の発達した筋繊維は更なるスピード
を与えていた。

 疾い!そう感じた隆の眼前には重装鎧を着込んだかの様な筋肉を誇る春麗が
迫っている。隆は咄嗟に頭部を両腕で防御した。ワンテンポ遅れ春麗の左ジャ
ブがそこへ着弾する。それは春麗がダッシュの勢いを殺してから拳を打ち出し
たからだった。腕のスナップだけで繰り出した春麗のジャブが隆のガードを軽
々と弾き飛ばす。しかし、隆の顔を捉えるには距離が足りない。
 春麗は構わずノーモーションの右ストレートを繰り出した。隆はそれの一撃
を身を捩らせ躱しつつ右の鉤突き、ボクシングでいうところのフックを春麗の
脇腹、めがけ撃ち込んだ。春麗の脇腹を捉えた感触が隆の拳に伝わる。分厚い
ゴムの板を殴ったような手応え。ダメージを与えたと言う確証が全く持てない。
 隆は諦めること無く更に春麗のボディに拳を撃ち続けた。だが、何れも春麗
の筋肉の前に弾き返される。隆は更に渾身の中断後ろ回し蹴りを春麗の脇腹へ
放ったが、それでも彼女は微動だにしない。

 「私の筋肉はマッサージが必要なほど凝り固まってないわよ。もっとも、今
のじゃマッサージにもなってないけど」
 不敵な笑みを浮かべる春麗。
「笑っていられるのも今のうちだっ……昇竜拳!」
 隆はかつて無敗の帝王と言われ、今では生涯のライバルと認め合うサガット
を打ち倒した必殺技を繰り出す。春麗はそれをスウェーバックしながら隆の突
き上げられる、腕を右のグローブで器用に掴みとった。
「教えてあげるわ。ボディっていうのはこう打つのよ!」
 春麗は隆の右腕を掴み吊るしあげたまま、左アッパーを隆の腹部へと叩き込
んだ。隆の鍛えぬかれたはずの腹筋は格闘技素人の様に春麗の拳をあっさりと
受け入れた。隆の内蔵が押しつぶされ、身体がくの字に曲がる。
「あら、これじゃボクシングとはいえないわね」
 吊るしあげられぐったりとした隆の耳元へ春麗は囁くと掴んでいた腕を解放
した。隆がリング上へと崩折れる。
「さてと…仕切り直ししましょうか?安心してカウントはないからゆっくり立
ち上がりなさい。一発で立てなくなるほど柔じゃないわよね?ボディブローを
教えてあげるといった以上は手加減したんだから。」
 春麗は踵を返すとニュートラル・コーナーへと歩いて行った。

 隆は催す吐き気を抑えながら乱れた呼吸の回復に努めると、力の入らない四
肢を叱咤し立ち上がる。そして、ふらつきながらも一歩一歩、歩みを進め始め
た。その足取りはやがて力強いものとなり、まだ闘えると無言の意思を示した。
 春麗はニュートラル・コーナーに背を預け寛ぐようにロープへ腕をもたせ掛
けていたが、その様子を見ると早速ファイティングポーズを取った。二人の睨
み合いが始まる。波動拳を封じられ、必殺の昇竜拳もあっさりと破られた隆。
残る竜巻旋風脚も過去、春麗がまだ蹴技で闘っていた時代に破られていた。残
された手立てはもはや接近戦のみ。隆はサガットとの死闘を思い返していた。
激しい戦いの末、勝利を勝ち取ったのは隆。
 大事なのは心構えだ。隆は自分にそう言い聞かせると春麗へと立ち向かって
いった。どれだけ、春麗がタフであろうと打撃を与え続ければいつかは倒れる。
ならば、相手が倒れるまで己が技を打ち続けるのみ。

 連続突きから回し蹴り、一連の動作を流れるように繰り出す隆。その動きに
迷いはない。春麗はその連撃を巧みにグローブで弾いた。回し蹴りを弾かれた
隆の態勢が崩れると同時に春麗のジャブ、隆の頭が弾ける。しかし、体勢が崩
れたことが幸いしてダメージはそれほどない。ジャブとは言え、ガードを容易
く貫く一撃だ、貰えば隆とは言え揺るがない保証はない。
 しかし、隆は即座に体勢を立て直すと続けて攻撃を繰り返す。突きを上下に
打ち分け肘打ち、裏拳、前蹴り、回し蹴り、足刀とあらゆる角度から様々な攻
撃を変幻自在に繰り出す。春麗は始め、それらの攻撃をグローブで捌いていた
がやがて、巧みなフットワークとスウェー、ウィービングと言った動作で軽々
と躱す。特に足技に対してはボクサーとは思えぬ見切りを見せた。それも当然
である。元々、蹴りに傾倒していた春麗は相手の体格、流派からその間合いを
瞬時に見抜くだけの力量を備えていた。

 隆は自分が春麗に完全に踊らされていると自覚していた。筋肉は鍛える程に
力は増す。同時に重量増加も招き、下手をすればスピードを殺すことになる。
だが、春麗の動きは以前にも増して鋭くなっていた。超重量級のパワーに軽量
級を凌駕するスピード。これ以上の難敵はない。しかし、春麗を倒さなければ
真の格闘家への道は啓けない。隆は気力を振り絞り更に攻撃の手を繰り出し続
ける。その度、隆の突きや蹴りは春麗が居たはずの虚空を切り続けた。
「この身体でこのスピード。信じられないでしょう?そろそろ、パワーの方も
味あわせてあげるわ」
 あまりの華麗さに舞を想像させる春麗のディフェンスが一転、攻撃へとシフ
トする。正拳突きを放った隆の目前から春麗が一瞬にして消えた。続いて隆の
横面を春麗の拳が弾き飛ばす。常人の目には隆の頭が狙撃された様に見えた。
正体は無論、春麗の左ジャブ。隆はあっさりと体勢を崩し数歩よろけ、意識が
飛んでいた。そこへ春麗の右ストレートが頭部へと捩じ込まれる。春麗はロー
プを背にする形だったが、隆はピッチングマシンから投げ出される豪速球の様
に吹き飛んでいった。

 隆の体がロープへ激突しロープが軋む。そして、スリングショットから打ち
出される弾丸の様に飛翔した、春麗へと向って。春麗はそれを待ち構え左のボ
ディ・アッパーを繰り出した。隆の腹部へ春麗の拳が手首まで文字通り埋没す
る。隆の口から圧搾空気の様に呼気が噴出し大量の唾液が吐き出された。春麗
の拳は留まるところを知らず更に振り上げられる。隆の身体がそれに合わせ持
ち上がっていった。春麗の左腕がアッパーのフォームではこれ以上伸びきらな
い頂点に達する。隆はさながら串刺しに処された死体のように春麗の拳に支え
られていた。
 数秒、その姿勢が続き春麗は隆の腹部から拳を引き抜く。隆は春麗の足元へ
と為す術なく落下した。隆は腹を押さえ激しく咳き込む。実のところは、のた
打ち回りたい程の苦痛に襲われていたが、春麗の拳が生み出した衝撃が全身か
らその力を奪っていた。
「あら……吹き飛ばすなんてパワーに頼り過ぎたかしら?」
 春麗は足元に這いつくばる隆を見下ろし不満そうにグローブを打ち合わせる。
春麗の言葉が自身に向けられたものなのか無様な隆の姿に向けられたものなの
かは、或いは両方なのか隆にはわからない。しかし、グローブを打ち付ける動
作はさほど力を入れているように見えないにも関わらず、発生する打撃音の重
さが隆の脳裏にこびり付いた。

 隆は激痛を忘れようと意識を集中し、震える手足に活を入れてゆっくりと立
ち上がると、構えをとった。春麗の隆を翻弄するスピードと、木の葉の様に吹
き飛ばす圧倒的なパワーに彼は対向するすべを持たない。だからと言って、諦
めれば真の格闘家への道は閉ざされる。自分を保ち、己の持つ技を全力で振る
う。それこそが道を切り開く術だ。隆は自分にそう言い聞かせ今一度、春麗と
対峙した。
「流石ね。その闘志に私も応えなくちゃ」
 春麗は隆の瞳に宿る強固な、それも闘う前に比べより強固となった意思を感
じ取りファイティング・ポーズを取る。その重圧に隆の身体が震えた。春麗が
手に入れたのは隆の倍はありそうな筋肉の量とそれが生み出す圧倒的なスピー
ドとパワーだけではないことを悟る。春麗は肉体改造を繰り返し、その力を闘
いで行使する内に、格闘家としてもより高い次元へと足を踏み入れていたのだ
と隆は確信する。隆は自分の震えが武者震いだと信じ春麗へと突きを繰り出し
た。

 春麗は隆を迎え撃つ。手は渾身の右ストレート。隆の目に一瞬だけ迫り来る
青いグローブが焼きつく。それは隆の感覚が研ぎ澄まされたからこそ見えたも
のだった。しかし、その一撃は躱すのも防御する事も不可能だと瞬時に悟った。
極限まで研ぎ澄まされた視覚を以っても対処できない、鋭くしかも重たい春麗
の右ストレートが隆の顔面を捉え、鼻梁を押し潰し、意識を剥ぎとった。今度
の一撃は隆を吹き飛ばしたりはしない。隆の足腰が力を失い、膝があぶられた
飴細工のように折れ曲がる。
 隆が吹き飛ばなかったのは春麗が手加減したからではない。春麗は身体の捻
りをコントロールすることで隆を吹き飛ばすパワーをダメージを与える衝撃に
変換したのだった。春麗の徹底的に鍛えられ超重量級の筋肉が生み出す純粋な
力、余人が及ぶべくもない領域で練り上げられた技術が融合し、この瞬間、春
麗のパンチが真に完成された。

 崩れ落ちる隆に対して春麗は更に追撃を加える。次の課題はこの完成された
パンチをコンビネーションとして打ち出すことだ。隆の鳩尾を春麗の左ショー
ト・アッパーが貫いた。一瞬、隆の足がリングから浮き上がり、身体がくの字
に折れ顎を突き出す。そこへ春麗の左アッパー、隆の身体が一気に伸び上がる。
更に左フックを繰り出す春麗。隆の首がねじ切れるのではないかと思わせる一
撃が決まった。何れも隆が万全だろうとただの一発で戦闘不能に追い込む痛打
だが、それを彼をリングへと這いつくばらせることもなく、吹き飛ばすことも
せず撃ちこむことに春麗は成功した。
 残像すら残らない程の高速の左トリプルコンビネーションが超大型ビジョン
にスーパースローで再生される。しかし、それでも春麗の拳は並みのボクサー
を凌駕するスピードで映しだされていた。その間に春麗は隆へと拳を振るい続
けていた。

 上半身を左右に振りながらのフックの連打。デンプシーロールと言われる連
続パンチが隆の顔面を捉え続ける。隆はその度に右へ左へ大きく傾ぐが春麗の
フックがそれを拾い上げ、更に次のフックへと繋げていく。隆の顔面が見る間
に倍ほどに腫れ上がり、痣と裂傷に覆われた。更に白い欠片と唾液混じりに血
反吐が口から噴出し、汗が飛び散る。
「あら?どうしたのかしら?抵抗しないと折角、インプラントした歯が全部無
くなるわよ?」
 カウンターの右ストレートで既に隆を戦闘不能に追い込んでいるのを春麗は
自覚していながら挑発をする。無論、隆から応えが返ってくるわけでもなく、
抵抗の兆しも全く見られない。しかし、春麗は攻撃を緩めようとはしなかった。
 春麗のデンプシーロールで隆は意識もないまま、倒れることも許されず、徐
々に後退させられていた。
「あら、このままじゃロープへ追い込んでしまうわね?」
 隆の背後に迫るロープに気付き春麗はコンパクトなフックを放った。それは
隆の頬を捉え、彼を回転させる。驚いたことに春麗はその回転にあわせて高速
機動を開始し隆が180度回転した瞬間、ジャブを繰り出し回転を止めた。

「仕切りなおしと行きましょう?」
 更に春麗は数発の左ジャブを隆へと打ち込む。そこで奇跡が起きた。否、本
当の悪夢の始まりだと言ったほうが正しい。失われていた隆の意識が回復した
のだ。時間の経過に依る回復なのか、春麗のジャブが何らかの刺激を脳に与え
たのか、それは判らない。だが、隆の意識が突然、復活したのは事実だ。それ
は顔面を苛む激痛と灼熱感に一瞬にして飽和し感覚を断ち切った。
 腫れ上がり細く、うっすらとしか映らぬ視界が時折、打撃音と共に暗転した
り、周囲の景色が急速に転回する。それは春麗のパンチが隆の顔面を捉え続け
ている証だった。痛覚が遮断され限られてる視界にすら春麗のグローブが迫る
様は良く判る。だが、元より躱せもしないパンチを今の隆が躱せるはずもない。
しかし、隆はそのパンチの奔流に抗おうと拳を固め構えを取ろうとしたが、手
を握る力も腕を上げる力も発することが出来ない。春麗の砲弾の様なパンチに
晒され、何故、自分が立っていられるのか、意識を失わずにいられるのか、春
麗の拳が隆の肉を激しく打つ打撃音だが不気味に響く中、彼は疑問に思った。

 時折、超大型ビジョンに映し出されるスーパースロー映像に依る春麗のコン
ビネーション。神がかり的な速度で射出される春麗の拳を追うことの出来ない
観客にとってはそれが唯一の試合を観戦する手段だった。誰もが認める美貌、
荒々しく鍛えぬかれた筋肉が躍動する様子、決して力任せではないと素人です
ら美しいと感じるパンチのフォーム。それらは組み合わさり対戦相手の隆の凄
惨な様よりも、芸術的な完成された春麗のボクシングを見るものへと印象づけ
ていた。だが、それはあくまでもこの闘いの一部。もし、この闘いを目で追い
きれるものが居て全てを見届けていればどうなったか?そんな想像すらさせる
ほど春麗のパンチは流麗さと悪魔的な破壊力を有していた。
 一方、リングの上では春麗の拳が更に加速していく。ジャブ、ストレート、
フック、アッパー、それらを左右駆使し、上下に打ち分けダウンしそうな隆を
様々な角度から掬い上げる。隆の道着は流血により朱に染まっていた。だが、
その目には虚ろながらも光が宿っているのを春麗は見て取った。
「あら、目を覚ましたの?折角だから私のパンチをその目に焼き付けておきな
さい!」
 
 春麗の左ジャブを起点としたワンツーパンチから左フックで隆の顔が彼女か
ら逸らされる、そこへ彼の顔面真正面からの右フックが炸裂する。
「悔しいけど、貴方に言われて気付いたわ。私はこのパンチを活かせる肉体を
持っていなかった」
 そう言う合間にボディ・アッパーの左右を連打、春麗自身何発撃ち込んだか
数えるほど億劫な高速打撃。隆は春麗から顔を背けたまま身体を折り曲げる。
そこへ容赦の無い春麗の右アッパー、隆の身体が伸び上がる。
「どうかしら?私のコンビネーションは?」
 未だ春麗へ向き直っていない隆の頬へ目掛け右ストレート、更に右フックを
二発。その二発は隆の顔面へと吸い込まれる。隆の顔が春麗に正対しないまま
身体が傾ぐ。このリングでのファイトは時間無制限の一本勝負だが、春麗はこ
のまま左フックを放てば隆の後頭部を捉えボクシングでは反則にあたると左右
のボディフック連打。隆は奇妙なダンスを興じさせながら春麗へと顔を向ける。
その直後に、右のボディ・アッパー、何度目か判らないが隆の身体が前傾させ
られる。今度は顎を出していない。そこへ春麗の右アッパーが隆の顔面を真正
面から捉え起き上がらせ、更に右のフックを炸裂させる。
 「そうね……百裂脚に対して百烈拳とでも名付けましょうか」
 更に春麗は隆がダウンさせない様に両の拳を連打する。無論、それは加減し
たパンチではない。自身の拳が隆にいかなる影響を与えどのように崩れるかを
計算し、それを防ぐための手を繰り出していたからだ。しかし隆はそれでも意
識を手放そうとしなかった。

 隆は春麗の重く鋭いパンチを次々と浴びながら意識が保たれている事に何の
意味があるかを必死に考えていた。痛覚はとっくに麻痺している。だが、肉を
打つ激しい打撃音と脳を揺さぶる衝撃、内蔵を潰される感触に、その一発一発
が隆をKOするには十分な打撃である事だけは悟っていた。頼む!俺を解放し
てくれ!そんな思いも同時に浮かんでいた。
「ふふふっ。貴方と闘っていると自分の奥底から湧き出てくるものを感じるの
よ。初めて闘った時は他の男達を傷めつける時と同じように思っていたけど、
貴方はそれ以上のものを持っているわ」
 春麗の乱舞は未だ留まることを知らない。それどころか更に加速し続けてい
く。春麗はパンチを隆の上半身を隈無く絨毯爆撃の様に一部の隙間もなく叩き
込んでいく。その勢いは大型ビジョンに映されるスーパースローですら残像し
か残らないものだった。
「喰らいなさい!千裂拳(サウザンド・バースト)!」

 春麗の拳舞の苛烈さは頂点に達した。スピード、パワー共に今までのパンチ
を凌駕した領域に達する。隆の身体から肉を打つ音のみならず骨が軋み、砕け
る音まで響き始めた。だが、隆の意識は未だ失われない。そして、春麗の拳は
隆がいかなる体勢かも関係なくダウンを許す事はなかった。
 僅か数秒と言う短い時間が隆には永遠に感じられた。気がつけば春麗の拳の
スコールは止んでいる。だが、不思議な事に隆は立ち尽くしたままだった。
「あらあら、まだ私のパンチを味わい足りないのかしら」
 棒立ちの隆に春麗は問いかける。だが応えはない。隆はもう終わりにして欲
しいと懇願したかったが口元も腫れ上がり言葉を紡ぐのは不可能だった。春麗
は自分のラッシュを喰らい、未だ立ち続ける隆に更に身体が熱くなる。それは
自分の持てる技術と肉体の生み出す力を併せたパンチでは無く、単純に力任せ
に拳を放ったら隆はどうなるか、それを見たいという思いだった。

「これで止めよ……覚悟なさい!」
 春麗は立ち尽くす隆へ低い姿勢から渾身の右アッパーを繰り出した。隆の身
体が錐揉み回転しながら宙打ち上げられる。春麗の拳には隆の顎を砕いた感触
が伝わってきた。隆は高々とリングを照らすライトまでその身を躍らせるとリ
ングの外へと向かい落下していった。その間、隆は自分が何故目覚め、一撃一
撃が致命打となる春麗の豪拳をその身に受けながら、今まで意識を失わなかっ
たか、その意味に辿り着いた。隆は春麗のボクシングがどれだけの高みに達し
たかを見届けるのが使命だったのだと。だが、それは春麗によって真の格闘家
への道を絶たれた事実から目を背け、何度も完膚なきまでに叩き伏せられた苦
い思いから逃げる為の方便だった。
 隆の身体がリングの外に敷かれた転落事故防止用のマットへと叩きつけられ
る。身に纏っていた道着は朱に染まるだけではなく、所々引き裂かれてた。春
麗の拳がインパクトした瞬間の捻りに耐えられずに裂けたのだろう。リング外
に横たわる隆の姿はその道着も相俟ってボロ雑巾の様相を呈していた。その合
間からは痣や裂傷だけではなくグローブに覆われていたはずの春麗の拳と同じ
大きさの陥没さえ見える。時折、痙攣を繰り返す隆。その様子から息がある事
だけは確認できた。春麗は悠々とエプロンサイドへと歩み寄りリングの下で痙
攣を繰り返す隆を見下ろす。
「全力のファイトに依る勝利。これが私に足りないものを気づかせてくれた貴
方への、そして私のボクシングの完成に立ち会ってくれたお礼よ、ありがとう」
 春麗はグローブにくちづけすると隆に対して投げキッスを送った。
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